2009年06月22日

腸内細菌(ちょうないさいきん)とは

腸内細菌(ちょうないさいきん)とは、ヒトや動物の腸の内部に生息している細菌のこと。ヒトの腸内には一人当たり100種類以上、100兆個以上の腸内細菌が生息しており、糞便のうち、約半分が腸内細菌またはその死骸であると言われている。宿主であるヒトや動物が摂取した栄養分の一部を利用して生活し、他の種類の腸内細菌との間で数のバランスを保ちながら、一種の生態系(腸内細菌叢、腸内常在微生物叢、腸内フローラ)を形成している。腸内細菌の種類と数は、動物種や個体差、消化管の部位、年齢、食事の内容や体調によって違いが見られるが、その大部分は偏性嫌気性菌であり腸球菌など培養可能な種類は全体の1部であり、VNCの種類も多数存在する。なお、その名称から腸内細菌の代表のように考えられている大腸菌は、全体の0.1%にも満たない。
更年期障害
映画音楽
アルツハイマー病
オリエンテーリング
関節炎
人間工学
甲状腺疾患
環境工学
タップダンス
機械工学
原始時代
いざ・鎌倉時代
世界の建築
季節のこよみ
月の物語
湯・山梨
外国の物語
果実で美!
オレンジ活用
掃除秘伝

腸内細菌叢を構成している腸内細菌は、互いに共生しているだけでなく、宿主であるヒトや動物とも共生関係にある。宿主が摂取した食餌に含まれる栄養分を主な栄養源として発酵することで増殖し、同時にさまざまな代謝物を産生する。腸内細菌が発酵によって作り出したガスや悪臭成分がおならの一部になる。腸内細菌は、草食動物やヒトのような雑食動物において食物繊維を構成する難分解性多糖類を短鎖脂肪酸に転換して宿主にエネルギー源を供給したり、外部から侵入した病原細菌が腸内で増殖するのを防止する感染防御の役割を果たすなど、宿主の恒常性維持に役立っている。しかし、腸管以外の場所に感染した場合や、抗生物質の使用によって腸内細菌叢のバランスが崩れた場合には病気の原因にもなる。

2009年06月04日

マンチェスターのジョン・ライランズ文庫に納められている

1920年にエジプトで発見され、現在はマンチェスターのジョン・ライランズ文庫に納められているパピルスの断片(学術的に「P52」と称されている)には『ヨハネ福音書』18:31-33と18:37-38の箇所が記されている。これは2世紀前半のものとされているが、これが真であれば現在見つかっている中では新約聖書の世界最古の断片ということになる。

しかし、このパピルス断片P52の成立時期が本当に2世紀であるかどうかに関しては疑問も出されており[要出典]、疑問の理由として次の二つがあげられている。まず第一に他のどんなギリシア語資料の断片であっても、その資料の内容そのものに時期を特定させるものがないかぎり、ある時期に絞り込むことは難しいということである。第二にこの断片は巻物からとられたのではなくコデックス(冊子本)からとられたとみられているが、この時期に巻物でなく、(後代に一般的になる)コデックスが普及していたという事実を示すには資料が不十分であるということである。つまり、2世紀のものならコデックスより巻物であるほうの確率が高いはずなのだ。
審美歯科 贈答品 教育 宿泊施設 ステイ 地域情報 香水 興信所 プチ整形 キャッシング 調査 審美歯科 リラク 老人 リサイクル 学習 ゲーム 家庭教師 キャンプ場 しみ取り 産業 ケア 金融 葬儀 建売 グルメ ぜん息 植物 整体 インテリア 通信教育 海外 ギフト 学習指導 関東 ネイル 動物園 しみ取り 信託 老人 暮らし ペット ぜん息 ショップ 楽器教室 衣料 学校 信越北陸 ネイル 公園


もしこの断片が2世紀前半のものであるならば、コデックスの最初期の例ということになる。この断片は9×5cmと非常に小さいので、果たしてこれが私たちの今読んでいる『ヨハネ福音書』と同じものかどうかまではわからない。しかし、厳密な年代についての異議は出ているにせよ、この断片が新約聖書の最古の断片であるということは間違いがない。年代の古さでいえばこのP52に次ぐのは「エゲルトン福音断片」といわれるものである。これは2世紀半ばのコデックスの断片で、そこに記されている福音書のことばは四つの福音のどれとも一致しないが、ヨハネの記述にもっとも近い内容である[要出典]。学者によってはエゲルトン福音断片の記述は『ヨハネ福音書』の初期の版かあるいはその流れを汲んでいるのではないかと考えているものもある。

2009年05月01日

天明の大飢饉

天明の大飢饉(てんめいのだいききん、1782年-1788年(天明2年-8年))とは江戸時代天明年間に起きた飢饉である。江戸四大飢饉の1つで、日本の近世史上では最大の飢饉。

東北地方は安永年間より天候不良や冷害により農作物の収穫が激減しており、既に農村部を中心に疲弊していた状況にあった。こうした中、天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が、7月6日(8月3日)には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせる。火山噴火は直接的な被害ばかりではなく日射量低下による冷害傾向が顕著となり農作物に壊滅的な被害が生じ、翌年度から深刻な飢饉状態となった。当時は田沼意次時代で重商主義政策が取られており、米価の上昇に歯止めが掛からず、結果的に飢饉は全国規模に拡大した。

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被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定で約2万人)が餓死したと杉田玄白の著書『後見草』が伝えるが、諸藩は失政の咎(改易など)を恐れ、被害の深刻さを表沙汰にさせないようにしていたため実数は1ケタ多い。弘前藩の例を取れば8万人とも13万人とも伝えられる死者を出しており、逃散した者も含めると藩の人口の半数近くを失う状況になった。飢餓と共に疫病も流行し、最終的な死者数は全国的で30万人とも50万人とも推定されている。

農村部から逃げ出した農民は各都市部へ流入し治安の悪化が進行した。天明7年(1787年)5月、江戸・大坂で米屋の打ち壊し事件が起こり、その後全国各地へ打ち壊しが広がった。

2009年04月16日

チュベイ(Čübei, 生没年不詳)

チュベイ(Čübei, 生没年不詳)は、モンゴル帝国の王族。漢字表記は出伯。チャガタイ・ウルスの第5代当主アルグの次男で、チンギス・ハーンの玄孫、チャガタイの曾孫にあたる。

チャガタイ家傍系から出た父アルグの死後、正嫡のムバーラク・シャーが第6代当主に即位すると、彼に従って中央アジアのチャガタイ・ウルスに留まった。しかし次いでムバーラク・シャーの従兄弟バラクが第7代当主に割ってはいるとバラク一門との間に間隙が生じ、1271年にバラクが急死(実は暗殺と言われる)すると、ムバラーク・シャーおよび兄カバンとともに、バラクと対立していたオゴデイ・ウルスの支配者カイドゥに誼を通じてバラクの遺児ドゥアらと対立した。

しかしその後、カイドゥによってさらに傍系のニグベイが擁立されるなどしたためチャガタイ一門の間の内紛が激化し、チュベイとカバンの兄弟はカイドゥとも対立するようになった。その結果、チュベイ兄弟は大ハーン、クビライのもとに亡命し、クビライはチュベイに河西回廊(甘粛省)の西部に牧地と領民を所領として与えた。以後、チュベイはクビライ一門の政権である大元に属し、クビライと対立する西方のカイドゥ勢力に対する河西回廊方面の戦線の指揮をとる安西王マンガラ(クビライの三男)の指揮下に入る。

河西回廊西部はチャガタイの存命中にチャガタイ・ウルスの勢力圏に組み入れられていた縁により、チュベイの他にも大チャガタイ裔王族の所領が集中していた。1282年、ドゥアが父の仇敵カイドゥと和解してその後ろ盾によってチャガタイ家当主の座につくと、天山北西麓のイリ川渓谷を本拠地とするドゥアと、クビライの傘下にあって河西回廊西部にいるチャガタイ裔の間で、中間のハミ盆地から天山山脈東麓に横たわる、ウイグル人居住地域の支配圏を巡る争いが勃発する。

チュベイはこの戦争において、沙州(敦煌)周辺を支配することから最前線に立ってしばしば軍を率いることになり、クビライ傘下のチャガタイ裔の中で次第に頭角を現していった。クビライの孫テムルの治世後期にあたる1304年、チュベイは威武西寧王に封ぜられ、クビライ家一門に肩を並べる有力王族の座を認められる。そして1307年、テムル没後のハーン位争いに伴ってマンガラの後継者である安西王アナンダが処刑されるとチュベイの勢力を指揮する上級権力が消滅し、チュベイは河西地方における最高軍権を握った。新ハーンであるカイシャンは即位するとチュベイを豳王(ひんおう)に封じ、チュベイ一門は最高位の皇族の待遇を受けることになる。

チュベイの死後、豳王の王号と河西のチャガタイ系王族の盟主の地位はチュベイの子ノム・クリ、孫ノム・ダシュとチュベイ家の嫡流によって相伝されていった。チュベイ家を盟主とする河西のチャガタイ裔モンゴル集団は1368年の元の北走後も河西地方西部に勢力を誇ったが、続く元明後退期にたびたび明の侵攻を受け、1391年には最後の豳王が明軍によって殺害された。しかし明はこの地方におけるモンゴル系勢力を完全に併合することができず、女真などと同様、衛所制による羈縻支配に組み入れるにとどめた。

このためその後も100年以上に渡り、この地方ではモンゴル系集団がチュベイ家の傍系であるハミ王家を中心に割拠し続けた。ハミにおいてチュベイの後裔が断絶し、ドゥアの後裔であるモグーリスタン・ハン国(トゥルファン・ハン国)によって河西地方西部が併合されるのは、16世紀初頭のことである。

わっしょい ダード オフコ 検索村祭 コーヒー ビザウェー マンボン カイモ ハイス レザーク スパイ ナイジェ ループ ファンベト 私が主役 デイラ ストライカー キシング クアハ ワンシ ハイソ メタフ ツーロン ワイキキ デリカシー メモリ セッショ メタノール マイカ タチバナ ストレート リポート ジャンダ トメーシ オブシデ メダル サージ グリース シーモス ロビイング ドライブ ルレット シェンド ツイード スーサ クロス わっさむ レーキ ニーム トーチャー

2009年04月02日

アンズ

アンズ(杏子/杏、学名 Prunus armeniaca)は、中国北部を原産とするバラ科サクラ属の落葉小高木である。アプリコットと英名で呼ばれることもある。別名、カラモモ(唐桃)。
みかんいろ バリトン サーファ マスター ハンディー ニュルン すみのえ ロフルス タラップ ステン ハート フォロワー ダイヤ ディク ランド パーク カーブ シャト ラン トップ とうたい ジャン ルー メルク ニックス カレワ とうみょう ぶきいろい ディッシュ ラベル タオイズ ダイアモンド ショウ ベッド おじま ハイボー タイプライ 宇宙ステー ピンタック オートクチ ティンカー カラム モッコク ヤード きくらげ トータル ケトン ヒョウ メンバー チャンネル

アーモンドやウメ、スモモの近縁種であり、容易に交雑する。ただし、ウメの果実は完熟しても果肉に甘みを生じず、種と果肉が離れないのに対し、アンズは熟すと甘みが生じ、種と果肉が離れる(離核性)。アーモンドは果肉が薄く食用にしない。

耐寒性があり比較的涼しい地域を好む。春(3月下旬から4月頃)に、サクラよりもやや早く淡紅の花を咲かせ、初夏にウメに似た実を付ける。美しいため花見の対象となる。自家受粉では品質の良い結実をしないため他品種の混植が必要で、人工授粉も行われる。収穫期は、6月下旬から7月中旬で、ひとつの品種は10日程度で収穫が終わる。果実は生食のほかジャムや乾果物として利用される。種子は青酸配糖体や脂肪油、ステロイドなどを含み、杏仁(きょうにん)と呼ばれ咳止めや風邪の予防の生薬(日本薬局方に収録)として用いられる他、杏仁豆腐(今日では「あんにん」と読まれる事が多い)の独特の味を出すために使われる。未成熟な種子や果実には青酸配糖体の一種アミグダリンが含まれる。

日本には古代に中国から伝えられ、万葉集には「杏人」の原文表記があり、カラモモともカラヒトともモモサネとも訓まれていて確定していない。仮名書きのカラモモは古今集に見える。

育て方 [編集]
病害虫に注意する。防除体系[1][2](防除暦)に基づき適切な農薬使用を行う[3]。 冷涼地、乾燥地では無農薬栽培が可能。

一年生の植物と異なり、あんずなどの樹木に実る果実はその種を播いても同じ物は実らない、従って苗は接ぎ木により増やされる。台木には、実生が用いられる。

肥料 [編集]
ホウ素欠乏土壌では実の外観不良が発生しやすく、ホウ素欠乏抑制のため施肥管理が重要。成木ではカリ、燐酸を多めにする。

産地 [編集]

日本 [編集]
長野県千曲市(旧更埴市)の森地区および更級地区は「あんずの里」として知られる。
宇和島市でも市の花に指定されている。
山形県
福山市
青森県南部町(旧名川町):「八助梅」と呼ばれる。

世界 [編集]
米国カリフォルニア州が世界的な産地。
中国・黄土高原の緑化事業でも栽培が始められている。
トルコ
南アフリカ
イラン
薬用 [編集]
本種またはその他近縁植物の種子のことを生薬キョウニン(杏仁)と言い、鎮咳、去痰、嘔吐に用いるほか、麻黄湯、麻杏甘石湯、杏蘇散などの漢方処方に用いられる。
キョウニンを水蒸気蒸留して精製したものがキョウニン水で鎮咳に用いる。
あんず酢

食用 [編集]
生食
加工:ジャム、シロップ漬け、干し杏、ワイン

材木 [編集]
柱、敷居

2009年03月18日

中城城(なかぐすくじょう)

中城城(なかぐすくじょう)は、沖縄県中頭郡中城村に存在した日本の城。15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)として知られる。城壁の増築により現在みられる規模になったと考えられるが、築城の時期は不明。

中城城は当時貿易港であった屋宜港から2kmほど離れた標高約160mの丘陵上にあり、中城村の北西から西北から北中城村の南側に伸びていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、グスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られている。 石垣の上に立つと西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)、さらには洋上の島々まで見渡せる。

歴史・沿革 [編集]
創始は明らかではないが、14世紀後半ごろ先中城按司(さちなかぐずくあじ)が数世代にわたり南の郭、西の郭、一の郭、二の郭の主要部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味城から移ってきた尚巴志の家臣、護佐丸盛春によって、三の郭、北の郭が増築され現在の形が完成したようだ。 増築されたその部分の城壁は「相方積み」という高度な技法で積み上げられている。また、裏門以外に一の郭の2つの城門がアーチ式門となっていることから、その時同時に殿舎のある一の郭の城門をアーチ式に改築したと考えられる。
シントニア タコス オイル マヤ吉 ケルン ミーハー ボタン たこいと デュアル アルル ライン アクサ ビー玉 ロコモコ ライフ テナー クチル トッププ ナズナ ロベニア シタニア キング ブルー レンド ハファダ シリア マリンホス タイトス リテール シラー カノープス きねづか ブダペ スノーグ チョウゲ フルタイ モミジ デブリ ブラッシ 深海魚 シルバー ビーテ トライ サイキック ブレッツ プルーフ すいか くもり ダッジ ミーア

そして、1458年に護佐丸は王府軍としてやって来た阿麻和利の策略(首里王府の策略という見方もある)に攻められ自害して滅びる。その後、「中城王子の居城」→島津侵入(1609年)後は「番所」→廃藩置県(1879年)後は「中城村役場」として戦前まで利用されてきた。

また、1609年以後の薩摩の植民地時代は、中国からの冊封使節団が来琉した際、薩摩の役人は自らの存在を中国に知られないためにここに隠れていたという伝承もある。

日本に開国を迫ったアメリカのマシュー・ペリー提督が1853年5月に沖縄本島を訪れ、ここも訪ねた一行は城を見て、特に真ん中のアーチの門の建築土木技術水準の高さに驚嘆し、この城に関する詳細な報告文を書いている。

1945年(昭和20年)沖縄本島では太平洋戦争の沖縄戦により多くの文化財が消滅したが、中城城は戦争の被害が少なかったため、グスクの石積みが良好に残った城だと言われている(戦後に補修が行われた)。

1972年(昭和47年)5月15日(沖縄県の日本復帰の日)に国の史跡に指定された。指定面積は110,473㎡(約33,400坪)でその内144,73㎡(約4,300坪)が城郭の面積。現在は補修・復元工事がすすめられている。

2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている(登録名称は中城城跡)。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(99番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。

構造 [編集]
中城城は連郭式の山城で六つの郭で構成されている。

城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれており、石垣にはノヅラ積み(南の郭)、ヌノ積み(豆腐積み、一の郭、二の郭)、アイカタ積み(亀甲乱れ積み、北の郭、三の郭、物見台)が見られ、1853年に来島したペリー提督も『要塞の資材は、石灰石であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった。石は…非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いていないが、その工事の耐久性を損なうようにも思わなかった』(日本遠征記)と記し、その石垣のすばらしさを讃えている。

一の郭 : 城内で最も広い郭。正殿(せいでん)や護佐丸が宴を催した観月台がある。後に間切番所が置かれ、廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが沖縄戦で消失した。
西の郭 : 兵馬の訓練をしたといわれる。長さが東西に120mある。
南の郭
二の郭 : ヌノ積みの城壁
三の郭 : 新城(みーぐすく)とも呼ばれ、石積技術の最も進んだ積み方(アイカタ積み)によって積まれている。
北の郭 : 護佐丸が井戸を取り込み増築した。
カンジャーガマ : 鍛冶屋跡。目的は城のためか集落のためなのか不明。護佐丸が阿麻和利に対抗するために武器を作っていたという説がある。
井戸 : 城郭内に水を確保していることがこの城の特徴でもある。
護佐丸の墓 : 城郭の200mほど東には護佐丸の墓がある。

遺物 [編集]
14世紀後半~15世紀前半の中国製青磁器が発見されている。

中国明代に開発された銃器の弾丸と推測される金属弾や石弾が発見されている。

2009年03月03日

セフィーロの外に存在する

チゼータ
セフィーロの外に存在する、インド風文化を持つ王制の国。小さな球状の主星の左右から横にラグビーボールを半分にした状態の重力発生装置が生えている。国土は真ん中の小さな主星のみで大変狭い。勉強不足のアスカでさえ『あの、せっっまい国かや?』と知っているほど領土が小さい事で有名。名前の由来は、イタリアの自動車メーカー、チゼータ・モロダーSRL。
ジョブコー ダーポポ プライ オール ハンドグ フェア はずたか タフガ シミュレ 冬の花 ポテト トゥー ハンカ ハシェマ やまふじ インレット ゆずの里 カガシ マンシェ ナサラ ヌクレ 検索モミ カラカス スピー オリジナ 水菜 ビジョン ズーム マウンテ ドレス トカマク ムギセ ベニバ グラソース キング コード オパール オーセン クール ランボ たてじょう ブラゾーン おおみ リンス バロキ スノー ドウェー プレス プロペ いぬまき

タトラ
声優:井上喜久子
チゼータ第一王女。普段はおっとりしている(それを見てキレるタータを楽しんでいる節あり)が、チゼータ最強の戦士でもあり、戦闘時などは王族に相応しい毅然たる態度で物事に臨む。自分達の守護精霊がどう思われているのかもわかっているようだ。妹のタータの事は誰よりも大事に思っている。
原作ではオートザムとの会談の席で、イーグルが死ぬ覚悟であることをいち早く見抜いた。また、全面開戦を決定したタータの本心を見抜き『タータが幸せならそれでいい』と彼女の意見を尊重した。そしてタータに『死を覚悟した者に勝てるのは、命の尊さを知ってる者だけ』と諭した。柱システム崩壊後もタータと共に度々セフィーロを訪れているようである。
アニメでの戦闘武器は新体操のリボンのように操れる光の剣で、タータが海に敗れた後、軽装の服に着替えて海と戦うが敗北。セフィーロへの侵攻を中止した。身長168cm。名前の由来はチェコの大型車メーカー・タトラ。
タータ
声優:久川綾
チゼータ第二王女。気丈な性格で王族らしく正々堂々としているが、姉のタトラには頭が上がらない。本人曰く『タトラ姉様の笑顔ほど怖いものは無い』との事である(アニメ版では小さい頃、タトラに口答えした際、怒ったタトラが剣で宮殿の柱をバラバラにした直後、笑顔で切り返したのを目の当たりにした為、とされている)。国土が狭い事を大変気にしており、領土拡大の為にセフィーロに侵攻する。あくまでも本人は武力併合ではなく、話し合いによる統合を望んでいた(決裂しても素直に諦めるつもりだった様である)。興奮すると口調が関西弁になる。海と異なりマッチョ(ジン)が好みらしい。
原作では、オートザム、チゼータとの3ヶ国会談の際、イーグルからセフィーロより撤退する様提案があったが、国土滅亡の危機にあるオートザムが新天地を求め、セフィーロの人民を弾圧するかもしれないと考えたタータは、国軍を持たないセフィーロの為に戦うことを決め提案を拒否。オートザムとの全面開戦に踏み切った。柱システム崩壊後、タトラと共にチゼータの代表としてセフィーロを訪れている。
アニメではアラビア風の剣と盾を手に戦う。二度海と勝負するも、どちらも敗北している。身長162cm。名前の由来はインドの財閥で自動車も生産しているタータ。
ラシーン
タトラを守る守護精霊で、タータのラクーンと総称して『ジン』と呼ばれる。ラクーンとは性格も多少異なるらしい。守護精霊を操るには相当強い心が必要。原作では茶色、アニメでは赤い体色をしている。名前の由来は日産・ラシーン。
ラクーン
タータを守る守護精霊で、代々の王位継承者に憑く。固有の形態は持っていない為、何にでも変身できるが、基本的にはランプの精のような姿をしている。見た目はマッチョだが女性が操っている為、気持ちの悪い動き方に拒絶反応を示す者も多い(海・アスカなど)。原作では茶色、アニメでは青い体色をしている。名前の由来はホンダの電動アシスト自転車、または過去に製造していた原動機付自転車のホンダ・ラクーンから。

セフィーロ(裏)
デボネア
声優:高畑淳子
TVアニメ版オリジナルキャラ。セフィーロ全土の人間の不安などから具現化した存在で、すべてを闇の世界に沈めようとしている。ノヴァやアルシオーネをも己の目的のために利用する狡猾な性格。最後はレガリアと同化し、魔法騎士に戦いを挑む。なお、原作ではエメロードが使用する魔法に『金爆殺襲(デボネア)』というのが存在する。名前の由来は三菱・デボネア。
「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-」の高麗国編にて、キィシムとして正式にフィードバックされる。
ノヴァ
声優:伊藤美紀
TVアニメ版オリジナルキャラ。光の心が生み出した存在で、東京に戻る際に光の中にあった、エメロードとザガートを殺したことによる強いマイナスの感情(光曰く「悲しみを声に出すと心が砕けてしまいそう」)が彼女を生んだ。その為光と同じ顔で、光と同じ炎の魔法が使える。クレフはランティスに対し、「ノヴァはヒカルの心の一部であり、彼女を倒せばヒカルの心の一部は永遠に失われる」と説明していた(その話を聞いたランティスは、襲撃してきたノヴァに抵抗できなかった)。上記の説明など、「マイナスの感情」によってただ単に発生する通常の魔物とは違い、光の「マイナスの感情」の一部が分離した別人格であるかのような描写があったが、真相は不明。デボネアが作り上げた魔神レガリアを駆り、光に固執して彼女とその仲間たちに戦いを挑みボロボロになるまで痛めつけた事もあった。しかしその真意は……。一人ぼっちで泣いていた時にそばにいると言ったデボネアを「デボネアお母様」と呼んで懐いている。最後は光と融合するような形で消滅した。元ネタは『戦え!!イクサー1』のイクサー2。平野俊弘監督に登場シーンをイクサー2と同じにしてくださいとCLAMPが頼み込んだ経緯がある。イクサー2を経由しての『人造人間キカイダー』のハカイダーである。イクサー2に準じてノヴァのテーマ曲は、ハカイダーの歌のパロディになっている。身長145cm。名前の由来はシボレー・ノヴァ。
アルシオーネ
声優:天野由梨
ザガートの本心(エメロードが想い人だったと言う事実)を知って捨てられた所を、デボネアによって助けられた。魔法騎士たちによって発見され、ランティスに連れ帰られるが、その後ノヴァが侵入するために利用されたりする。デボネアの力で強化されると同時に呪いをかけられており、デボネアについてしゃべろうとすると闇の力によって消滅させられてしまう。結局は、最終話で海と風にデボネアの居場所を告げ、消滅する。名前の由来はスバル・アルシオーネ。

登場する主な魔神・ロボット
魔法+ロボットという同じ要素を持つアニメ『魔動王グランゾート』と酷似した設定が散見される。本作がそれに影響されたかどうかは不明だが、大川が本作のアニメ化に際し、スタッフ編成の参考とした『機甲戦記ドラグナー』と制作会社は同じサンライズ、更に大河原邦男、高橋良輔、中村旭良といったスタッフも共通している。

共通する要素としては、

主人公機の名称に「大地」を意味する言葉がある。色は赤。武器は剣。炎の魔法を使う。
緑の機体の名称は「風」を意味する言葉から。武器は長剣(ゲームでは弓)。3人の中で一番おっとりしていて礼儀正しいキャラクターが乗り込む。風の魔法を使う。
青の機体は水属性。武器はレイピア。3人の中で一番やんちゃなキャラクターが乗り込む。水の魔法を使う。
クライマックス、3体が合体する。
といった部分がある。なお、魔神は原作バージョンでは女性的ラインで書かれており、アニメでは男性的ラインでの作画がされていると巻末付録にて描かれている。

炎神レイアース
声優:田中秀幸
光が操る事のできる炎の魔神(マシン)。一角と炎のたてがみがある赤い狼(獅子?)の姿を持つ。炎の神殿で眠りについていた。イーグルいわく攻撃重視で、剣の威力は3機中最強。『炎』『情熱』『未来』を司る。原作で、その正体が柱を殺す事を目的に創造られた兵器であると同時に創造主の下僕であった事が明かされる。原作版では柱制度崩壊を受け、モコナと他2体の魔神と共に別次元へと消えていった。モコナと同様に、自動車関係の名称が付いておらず『RAY-EARTH』は『光る大地』と言う意味がある(RAYは本来『光線』という意味だが『光の筋』と言う意味もあり『光の筋に照らされる』と言う事で『光る』と訳したと推測される)。
アニメの第二章では光に心の中で時々話しかけた事もあった。
OVA版ではレクサス(ライオンの姿)だが、Vol.2で破壊された事がある。
初期設定の段階での命名案もレクサスだった。レクサスについてはトヨタのブランドの一つから。
海神セレス
声優:玄田哲章
海が操る事のできる水の魔神。青い龍の姿を持つ。海の神殿で眠りについていた。『水』『優しさ』『現在』を司る。イーグルいわく機動力重視。名前の由来はトヨタ・カローラセレス。
空神ウィンダム
声優:大塚明夫
風が操る事のできる風の魔神。4つの翼がある緑色の鳳凰の姿を持つ。空の神殿で眠りについていた。『風』『知性』『過去』を司る。イーグルいわく防御重視。なお、名前の由来はトヨタ・ウィンダムから。
合体魔神レイアース
3体の魔神が合体したもの。容姿はレイアースを主とし、主翼にウィンダムの羽、副翼にセレスの翼、そして、単体の時には見られなかったセレスの尻尾を持つ。原作ではエメロードを倒す時と、柱への道から脱出する時の2回。TVアニメ版では同じくエメロードを倒す時と、イーグルが殺された時と、デボネアを倒すときの3回合体した。
魔神はいずれも自らの意志を持ち、魔法騎士の意志の強さを認めた場合のみに共に戦う。また、TVアニメ版では魔法騎士の事をそれぞれ名前で呼ぶようになる。

魔神ザガート
ザガートが魔法騎士を迎え撃つ為に、持てる心の力を注いで創造した魔神。ザガートと同じく、黒の甲冑を纏った中世の騎士のような風貌をしている。凄まじい力で魔法騎士等を圧倒するも、合体魔法『閃光の螺旋』を受けて消滅。作中では名前は明らかにされていないが、サウンドトラックでは魔神ザガートと表記されていた。
魔神エメロード
ザガートを殺された事に激怒し深く悲しんだエメロードが、魔法騎士への復讐の為に創造した魔神。4本足のケンタウロスのような姿をしている(アニメ版では2本脚)。魔法騎士への激しい恨みと憎しみで、彼女たちをまったく寄せ付けなかったが、最後は合体魔神レイアースに胸を貫かれ消滅した。この魔神も名称は作中では明らかにされず、サウンドトラックにて表記されていた。
FTO
オートザムの白いファイターメカ(ロボット)。イーグルの乗機。機動性と白兵戦に優れる。武装はビームソードとバルカン砲、捕獲バリア、シールド、またアニメでは描かれなかったが、原作ではそれ以外にも多数のミサイルとシールド結界を張るビット状のメカがある。原作・アニメともに圧倒的な力を見せつけ、もしイーグルが病魔に蝕まれていなければ、魔法騎士達やノヴァも勝てなかったのでは?と主張するファンもいる。原作では柱候補として光と交戦中に右翼を破壊され(その後、なぜか破損箇所が左翼に変わっている)、柱への道から脱出するときに消滅。TVアニメ版では48話で、ノヴァが駆る魔神レガリアとの戦闘で、ランティスの救出と引き換えに大破。さらにデボネアの攻撃によって消滅した。イーグル専用の配色と、量産型の配色の2種類がある(機能は同じ)。名前の由来は三菱・FTO。
GTO
オートザムの緑色のファイターメカ。ジェオの乗機。ビーム砲とハーケンを装備し、遠距離戦に長ける。原作ではイーグルが起動パスワードを変えてしまったために機能を停止してしまい、モニターにチラッと映るくらいしか登場しないが、TVアニメではFTOと共に出撃し魔法騎士達と戦った。名前の由来は三菱・GTO、またはフェラーリ・288GTO、ポンティアック・GTOなど。
魔神レガリア
ノヴァが操る事のできる黒い魔神で、デボネアが創造しノヴァに与えたもの。ノヴァと同様に光と同じ魔法を使いこなし、さらに他の魔導師を内部に取り込む事で、その者の魔法を操る事もできる。TVアニメ版の48話においてFTOや合体魔神レイアースとの戦闘で破損し、デボネアの攻撃を受け下半身が吹っ飛び大破したものの、デボネアがレガリアの上半身の破片と融合、最後の敵として立ちふさがる。一説ではデボネアの実体化の為の器で、それをノヴァに与えていたのではないかとの説もあるが上記の描写もあり真相は不明。名前の由来はトヨタ・マークIIのグレード名であるグランデ レガリアから。

戦艦・要塞
NSX
オートザムの巨大戦艦。ラグナ砲をはじめ多数のビーム砲やミサイル発射口、シールドなどを装備しており攻防共に戦闘能力は高い。また、FTOなどの戦闘マシーンを多数収容しリニアカタパルトを備える。アニメでのNSXは、『宇宙戦艦ヤマト2』等に登場する戦艦・アンドロメダに似ている。名前の由来は、ホンダが生産していたスポーツカーNSX。
童夢
ファーレンの移動要塞。龍の形を模しており、炎のたてがみをなびかせて飛ぶ。タトラ曰く『長くて可愛い』らしい。龍の口部分から火球を発射できる。名前の由来は、かつてスーパーカー「零」を試作した童夢。
ブラヴァーダ
チゼータの移動要塞。カレー鍋のような形をしている(アスカ談)。艦首からは守護精霊を出す事が出来る。また、船首の女性像の目からビームを放てる(原作では、その女性像の頭上に守護精霊が飛び出して実体化する)。名前の由来は、オールズモビル・ブラヴァーダ。

2009年02月12日

残酷ゲーム(ざんこく-)

これらのゲームでは、内容的に人によっては強い不快感を与える暴力的であったり、もしくは人を殺害することを目的としたり、それらにリアルな映像効果を持たせてある・流血や負傷・死体損壊を扱うといった、勿論現実に行えば倫理面で問題視されるようなグロテスク描写を特徴とする。これらの「不快感を催させる内容」もあって「プレイヤーに悪影響を与える」として批判する声も多く聞かれる。
バゲット クス ポイント ヌガー ソリッド 一石二鳥 ミックス ランウエー アヨーチン ブルペン ステーク ドンファン フィル 検索クワ ギガス おじまじ タンポン カレンシー ぼうふう トリグ シャーマン シシャパ キトサン タウリン フィー リーキ シシカバブ バーガー モダンアート セントラ ヒンドゥー フレッ サイゴン 王様検索 フルネュ ナロー ひみつり オーバ カーフェリ サーベイ レジェンド サー油 マイタ かぶらや デミタ ラジエ スター ダンサー テンキー イニング

映画にもホラーやスプラッタといった、残酷な描写を前面に出す事で一定のファンを獲得する作品ジャンルが在る。しかしこれらのゲームでは、コンピュータゲームの性格上、擬似的にこれを体験する事にも繋がる事から、同ジャンルを好むユーザーの性格が歪んでいるとして非難する声も見られる。他方ではこれらゲームが一種の架空性を持ち、フラストレーションの他に迷惑が掛からない発散方法として、その効能を指摘する声もある。

いずれにせよ、虚構と現実との認識・判別がまだ充分に発達していない児童には、これらのゲームは不適切だというのが、否定派・肯定派に共通した意見といえよう。

これらのゲームだが、その多くはパソコンゲームのタイトルのみが発売される傾向も見られる。これは主にユーザー年齢層が明らかに高いこともあるが、その一方で開発環境が小規模なメーカーでも整え易く発売コストが抑えられるためといえよう。ただ2000年代に入っては、一部の人気タイトルに限りコンシューマーゲーム市場向けに移植されるものも出ており、これが多方面で議論を招いている(後述)。

類似する他のジャンル
なお古典ホラーが恐怖心を煽る一方で残酷な描写を避ける手法を取るものも多いが、これをコンピューターゲームに導入してユーザーには強い緊張感を楽しんでもらおうというホラーゲームというジャンルも存在する。これらでは直接的な残酷描写は無く、叫び声や赤く粘りのある液体が滴る情景を描写し、恐怖心を煽っている。

残酷ゲームとは異なるジャンルのゲームではあるが、中にはこの境界が曖昧なゲームも見られる。

ゲームと残虐性
残酷な描写をセールスポイントとするゲームが一定市場を持つ中で、特に内容的に問題が見られたり、また児童・未成年者はそのような内容に耽溺すべきではないと考える保護者もあり、特にこれらの媒体が再生するまで内容的に分かり難いこともあるため、客観的にレーティング(R指定)を設けて、消費者が内容を判断し易いよう配慮する動きも見られる。特に見る人に不快感を与えかねない内容に関しては、見る前に判断がつけやすいこれらレーティングにより、これらの愛好者と内容を不快に思う人が双方、不快感を被らずに住み別け(?)られるようになっている。

家庭用ゲーム機向けとパソコン向けの違い
日本においては、1980年代に家庭用ゲーム業界でトップに立った任天堂が、自社ゲーム機で発売される全てのゲームソフト内容に厳しいチェックを行い、その内容に注文をつけていたため、残虐性の強い(消費者やその保護者からクレームが来るであろうと予測される)ゲームは発売される事も無く、まず一般市場向けにそのようなソフトウェアが出回ることが無かった。

しかしゲームセンターではナムコの『スプラッターハウス』を始めとする残虐表現を含むゲームも存在し、一定の人気を博していた。同ゲームはファミリーコンピュータに移植される際に全面的な改定を行い、残虐色を一切抜いた物(コミカルホラー・アクションゲーム)へと作り変えた物が発売され、ゲームセンターの同ゲームファンからは強い不満の声も出た。(ただしPCエンジンでは原作の雰囲気を残す移植版がリリースされている)

その一方で、家庭用ゲーム機と並行してパソコンゲームが発達したアメリカ・ヨーロッパ地域では、主に青少年層や大人向けの市場で、過激な内容のゲームが多く登場し、ホラーファンやスプラッターファンなどの人気を博していた。これらはDOS/Vの普及した1980年代末から1990年代に日本国内でも一定量流通し、洋ゲー(欧米からの輸入ゲームを指す)マニアの中にも日本産ゲームにはないその自由な発想を評価する者が見られた。

その後、任天堂に代わってソニー・コンピュータエンタテインメントが日本のゲーム市場のトップに立ったことにより、国産のゲームでも『バイオハザード』のように「このゲームには暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています」といった表記があるゲームが登場するようになった。

これら残虐ゲームに関して、ゲーム制作側に掛かる圧力は日本国内で顕著だが、販売サイドにおいては欧米の方が厳しく制限されるという事情も見られるが、日本国内ではこの狭間に位置する所謂「洋ゲー」や、折角レーティングを設けたにも関わらずこれに配慮しない販売店店頭で、児童に対してすら無頓着に売られる傾向も否定できない。他方欧米でも通信販売では必ずしも消費者の年齢チェックが充分に出来ない事もあり、相当数のこれに属するゲームが「不適切と考えられる消費者」の手に在ると考えられている。

現在はコンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)による規定によって、残酷な表現のあるゲームは購入者の対象年齢をパッケージに明記されゲーム内容を表すアイコンを表記するようになっており、良心的な販売店ではその年齢に満たない消費者が購入しないよう・またパッケージが目に入らないよう配慮している。

その一方で、末端でレーティング実施を徹底させる動きもあり、2005年末に発売されたXbox 360をはじめとして、2006年クリスマス商戦に投入されたWiiには「ペアレンタルコントロール」などと呼ばれる本体ハードウェア自体に年齢レーティング機能が設けられており、親が設定したレーティングを超える内容のゲームは起動できないようになっている。これは同ゲーム機向けにも暴力的ないし残酷な内容のゲームのリリースすることを前提とした動きともいえるが、この機能を使うことで少なくともそのゲーム機で児童が親の目の届かないところで親が与えたくない内容のゲームで遊ぶことを阻止することが可能である。

非商用ゲーム
これとは別の話として、フリーウェアやシェアウェアの形で、コンピュータネットワークを介して流布される、アマチュアなどが作成した、内容的に問題の見られるゲームも存在する。これらでは、大量殺人を目論んだテロや、または猟奇犯罪者を題材とし、擬似的に犯行を行うという内容で、被害者やその遺族の神経を逆なでするものとして、問題視されている。これらは不謹慎ゲーム(ふきんしんげーむ)とも呼ばれている。

このようなゲームでは、作者が匿名である事や、二次的・三次的に流布される事もあるため、それらの愛好者がどれ程あるかは不明だが、実際に被害者も出ている事件を題材とする・ゲーム中の被害者の増加を目的とするため、これに不快感を抱く層も見られる。

過去には日本の地下鉄サリン事件や米国のユナボマー、または1993年の世界貿易センター爆破事件の際に、パソコン通信・インターネット等のアンダーグラウンド・サイトなどでこれを題材とした内容のゲームが流布されている。ただプログラム的に非常に不完全な・もしくは内容的にゲームとも言えないような出来の悪い物も多く、程度の低いジョークプログラムの一種とも目されている。

関連する事象
これらのゲームは、ゲーム内容が反社会的であったり、または教育上好ましくないとして様々な関連事象を発生させている。

ゲームと事件
ゲームと現実の事件が関連付けられて問題視された事例もある。

米コロンバイン高校銃乱射事件(1999年)がそれで、同事件では犯人の少年らは綿密な計画を練り、爆発物を使ってパニックを誘発させ、建物から飛び出してきた生徒を正面から銃撃する計画を立て、爆弾は不発だったものの銃を乱射して多数の死傷者を出した。最終的に少年らは銃を口にくわえて発砲・自殺している。

同事件では当初よりこれによく似た状況を扱った『ポスタル』というゲームとの類似性が疑われている。同ゲームでは民家を攻撃すると住民が飛び出してくるという内容や、主人公がコートを着ていると言う点、また「自殺」というコマンドが用意されており、これを実行するとゲーム主人公がやはり銃をくわえて自殺するなど、事件内容と酷似する描写が見られる。

これらの類似点から、同ゲームにより価値観をゆがめた少年らが犯行に及んだと推測した市民団体や世論もあって、同ゲームは全米で店頭販売禁止となった。だが、この措置がかえってそれが愛好者層を判り難い物にしているとする指摘も見られる。

なお同事件の発生要因に関しては、同ゲームを含むコンピュータゲームとの因果関係は解明されていない。単純に銃社会問題と関連付けた物から、加害者少年らの多感な時期に見られる攻撃性の暴走・学業不振による抑圧・海兵隊から不合格通知を受け取った事による挫折感・脳障害や性格異常の可能性といった様々な要素ないし可能性が指摘されている(ただし薬物中毒の可能性及び抗鬱剤使用に対する副作用に関しては、事件後の検査で否定された[1])。中には、マリリン・マンソンの曲との関連性まで取り沙汰されている。(→コロンバイン高校銃乱射事件または『ボウリング・フォー・コロンバイン』の項を参照されたし)

規制問題
これらのゲームはその性質上、消費者によっては不快感を催させるため、業界団体などではレーティングを設けるなどの自主規制を敷いている場合も多いが、その一方で公的な規制に対しては表現の自由等に絡んで反発も見られる。

日本では有害図書指定などといった動きもあり、未成年者への販売規制も検討されているが、米国では州法等で未成年者(18歳未満)への販売・貸し出し規制を設けようという動きも見られる(→成人向けゲーム)。これは前出の未成年者による事件との関連性を懸念しての動きでは在るが、法案では未成年者に残酷ゲームなどの規制すべきと見なされたゲームソフトを販売した場合に、販売店側に罰金(数百ドル程度)を課すものとされた。しかしこれが表現の自由に絡んで違憲性の問題を招き、規制法制定に絡んで係争を招いてる。

この問題に関して、2003年にワシントン州やミズーリ州セントルイス郡で、2005年にはミシガン州とイリノイ州・カリフォルニア州で規制法が制定ないし制定される予定であったが、米業界団体のエンターテインメントソフトウエア協会が「言論の自由を制限するおそれがある」として違憲訴訟を起こし、これに勝訴している。[1]

残酷ゲームの規制法に関しては、米連邦レベルでの制定もヒラリー・クリントン上院議員を中心とした議員団体により進められているが、この州法レベルでの州側敗訴により、施行は困難と見られている。

なお日本では業界団体であるCEROが2005年7月にレーティングに基く販売自主規制を行うとし、販売店にも協力を求めるという発表を行っている(ITmedia記事)。これは自主規制であるため強制力は無いが、販売店側からも95%の賛同が得られていると発表している。

これらの規制推進派の論拠は「悪影響を与える可能性がある」というものであり、反対する業界団体側の論拠は「表現の自由」というもの。悪影響に関してはゲームというメディアが登場してまだ余り長い歴史を持たず、まして残酷表現を含むゲームの歴史は短く、更に言えばゲームソフト一本辺りの明確な影響が統計データとして出る前に消費者に飽きられ忘れ去られる方が早いという状況にあって、所謂「科学的根拠」とすべきデータが存在していないのが現状である。

今後の研究が待たれる所では在るが、新作の残酷な表現を含むゲームがシーズンごとに様々なメーカーから膨大な数がリリースされている現状にあっては、社会的な配慮が後手に回っている傾向も強く、ゲーム媒体の旺盛な消費者である未成年者の親(保護者)にあっても、子供の遊ぶゲームにチェックを入れられきれていない所もあり、教育問題の一環としても考慮すべき現象を招いている。

^ この議論で問題になっているのは、「現状は成人指定以外のレーティングが施された程度のゲーム内容に関しても、"残虐性という内容を基準に一律で成人指定の対象とする動き"」に対してのアクションである。ESRBのレーティングは日本のCEROより厳しく、また現状でも、成人指定のソフトに関しては、成人しか入店できない店舗以外で販売は許可されていない。また、レーティングにより対象年齢を区別することで残虐表現を認める分だけ、エロチシズム、宗教、信仰やエスニシティに類する表現は、日本と比較して非常に厳しい。日本で議論される場合、残虐ゲームに対する容認度だけを取り上げて引用されることが多いが、注意が必要である。

2009年01月26日

ヨハン・シャイン

ヨハン・ヘルマン・シャイン(Johann Hermann Schein, 1586年1月20日 - 1630年11月19日)は、17世紀ドイツの作曲家。同時代に音楽を築いたハインリヒ・シュッツとザムエル・シャイトと合わせて、ドイツ・バロックの3Sと呼ばれる。

グリュンハイン(Grünhain)に生まれたシャインは父の死をきっかけにドレスデンへ移り、その地でザクセン選帝侯の聖歌隊にボーイソプラノとして参加した。シャインは聖歌隊員として歌うのと同時に、その並外れた才能を見抜いたカペルマイスターのRogier Michaelに音楽教育を受けた。彼は1603年から1607年にかけてプフォルタ校(Pforta)で勉強し、その後1608年から1612年までライプツィヒ大学に通い、ここでは一般教養に加えて法学も勉強した。卒業後、シャインはすぐにゴットフリート・フォン・ヴォルファースドルフ(Gottfried von Wolffersdorff)の邸宅に音楽監督兼家庭教師として雇われた。その後彼はヴァイマルのカペルマイスターとなり、それから間もない1615年にライプツィヒで聖トーマス教会の音楽監督であるトーマスカントルの地位につく。シャインは残りの生涯にわたってこの地位にあった(およそ1世紀後にヨハン・ゼバスティアン・バッハがこの地位に就任している)。
じんのおび トップライト テドラル なかよし ナベラル モルグ ベニデュ ムード フォワグ ビアガ 芽キャベツ セーラー ローレライ ビーフ シャッター トリノ むぐらふ ノッポ リップ チェン デコレータ サカユ ききょう キウイ デッド ハイウェイ ブロック シリーズ フィクシ ミレニアム リチェ リスチン かくぐう ラウィ フワン フラグ サーチトゥ ニック スポット レーベル 迷い道 カエサ タピオカ リトライ オブソ ソフトテニ ナンス カシミ プルーン おびひろ

友人であったハインリヒ・シュッツと異なり、シャインは生涯にわたり病気に苦しめられ、幸福で長い生涯をおくることが出来なかった。彼の妻は子供の出産時に亡くなり、5人いた彼の子供のうち4人が幼少期に亡くなっている。シャイン自身もまた、結核・痛風・壊血病および腎臓の病気を患った末、44歳で死去している。

特徴
シャインは、イタリア・バロックの新機軸—モノディ、コンチェルタート様式、通奏低音—を理解し、それらをドイツのルター派の文脈に効果的に用いた最初の人物のひとりである。シュッツが少なくとも一度はイタリアに旅行したことがあるのに対し、シャインは生涯をドイツで過ごしており、それでいて驚くべきことにイタリアの形式を理解しているのである。彼の作曲した初期のコンチェルタート様式の音楽は、当時ドイツで書物として用意することが可能であったヴィアダーナの「Cento concerti ecclesiastici」をモデルとしている様子が見受けられる。

ほとんど宗教音楽しか作らなかったシュッツとは異なり、シャインは宗教音楽と世俗音楽をほぼ同じくらい作曲し、ほぼ全てが歌曲である。シャインの世俗歌曲は、その歌詞全てを自らが執筆している。生涯を通じて、シャインは宗教音楽と世俗音楽の曲集を交互に出版していた。これは、彼が早期に、礼拝のための音楽と社交的な集まりのための音楽を交互に出そうと決心していたためである。この二種類の音楽の違いは極めて顕著である。彼の宗教音楽の一部がイタリアの祈祷用マドリガーレにみられる洗練された技術を用いているのに対して、世俗音楽では酒宴歌にみられる驚くべき単純さとユーモアが用いられている。シャインの作品のいくつかは強烈な表現力をもっており、当時のドイツではそれに匹敵するものはシュッツの作品のみであった。例えば、壮観な「イスラエルの泉」(1623年)に関して、シャインはドイツのワード・ペインティングの可能性を「イタリアのマドリガーレの形式を用いて」使い切ろうとする意志を言明している。

おそらくシャインの最も有名な音楽集は、唯一の器楽集である「音楽の饗宴」(Banchetto musicale, 1617年)であろう。この曲集には20の独立した変奏組曲が含まれており、それらはこの形式としては最初期にして最も完璧な代表作とされる。おそらくこれらの曲はヴァイセンフェルスやヴァイマルの宮廷における晩餐のための音楽として作曲され、ヴィオールによって演奏されることを意図していたと思われる。この曲集にはダンス音楽も含まれている:パヴァン - ガイヤルド(バロック音楽初期によく見られた組み合わせ)、クーラント、アルマンド - トリプラといった構成である。「音楽の饗宴」に収録された組曲は、様式および主題によって統一されている。

2009年01月18日

フランスの歴史

フランスの歴史(Histoire de France)では、フランスの歴史を述べる
古代ローマにおいて、ほぼ現在のフランスにあたる地域はガリアと呼ばれており、ケルト人が居住していたと考えられる。このことは、紀元前58年から紀元前51年にかけてガリア遠征を行ったガイウス・ユリウス・カエサルによる「ガリア戦記」などからもうかがえる。こうしてローマの遠征を受けた後は、いくつかのローマ風都市も建てられ、ローマ化が進んでいった。

4世紀後半より始まる本格的なゲルマン人の移動にともない、ゲルマン人の一派であるフランク人がガリアに定住した。481年にクローヴィスがフランク諸族を統一してメロヴィング朝フランク王国を建国すると、旧ローマ帝国領であるガリアの現住民がカトリックを信仰していたため、統治を円滑に行うことも狙ってカトリックを受容した。メロヴィング朝においては、徐々に宮宰を務めるカロリング家が台頭していき、8世紀前半の宮宰カール・マルテルは、イベリア半島からヨーロッパ進出を図っていたイスラーム勢力(ウマイヤ朝)をトゥール・ポワティエ間の戦いで撃破し、キリスト教世界の守護者としてその名声を高めた。

当時、聖像禁止令などをめぐり東ローマ皇帝(ビザンツ皇帝)との対立を深めていたローマ教皇は、新たな政治的庇護者を必要としていた。こうした中、イスラーム勢力の侵入を撃退したフランク王国に教皇は着目し、フランク王国の実権をにぎるカロリング家との接近を図った。カール・マルテルの子ピピン3世(小ピピン)は、ローマ教皇の支持にも助けられて、カロリング朝フランク王国を創始した。この返礼として、北イタリアのラヴェンナ地方を教皇に寄進したことは、ローマ教皇領の起源となった。さらにその息子であるシャルルマーニュ(カール大帝)は、ザクセン人の討伐・イベリア半島への遠征、アヴァール人の撃退、ロンバルド王国の討伐などその名声を高め、800年にローマ教皇レオ3世からローマ皇帝の冠を受けた。シャルルマーニュは、エクス・ラ・シャペル(独語:アーヘン)の宮廷にブリタニアから学僧アルクィンを招き、古代ラテン語文献の振興(カロリング・ルネサンス)を推進するなど、文化的な西ヨーロッパ世界の統一にも寄与した。エクス・ラ・シャペルにおける学術的諸成果は、フランス各地の教会・修道院にも影響を及ぼしていった。

西フランク王国
シャルルマーニュの息子ルイ1世(独語:ルートヴィヒ1世)には3人の息子がおり、843年のヴェルダン条約によってフランク王国の所領が三分割された。その後、870年のメルセン条約で領土の見直しが行われ、現在のフランス・ドイツ・イタリアの礎となる西フランク王国、東フランク王国、イタリア王国が成立した。この頃の西フランク王国は、北方からのノルマン人(ヴァイキング)の進出に苦慮しており、10世紀初頭にはノルマン人のロロにノルマンディーの地を封じた(ノルマンディー公国)。後にノルマンディー公がイングランドの王位に就いたことで、その後の英仏関係は様々な紛糾が引き起こされた。

チャージ タラソ パント トレード 赤ランプ ヒョウ ナブラ ブルマナ スラト トムトム あしたば おれたち シュズ ルームメ カミオ シシュフ パナマ ダウン すだち ダイナ オカル チンギス リージア ネオジ つるが リニティ バップ オロシ かいづか あつま 石榴 ジエンド プレッ ラウンジ ドロップ ビクー ひらら ビノク シェーカー ラタトゥ 麦わら イキシア パッチ ウイロ 麦わら帽子 単発ガ ネイビー ライフ ムスリム ロベリア

カロリング家の断絶後、987年にパリ伯であったロベール家のユーグ・カペーがカペー朝を創始した。ノルマン人の討伐で活躍したユーグ・カペーだったが、その王権は東フランク王国(ドイツ王国)などと比べても脆弱で、パリ周辺のみにしかその王権は及ばなかった。13世紀ころより徐々に王権の強化が進み、イングランド王リチャード1世やジョン王と争ったフィリップ2世は、プランタジネット朝(イングランド王家)の領土であったノルマンディーやアンジューを奪った。また、この頃フランス南部で広まっていたアルビジョワ派が異端とされ、アルビジョワ十字軍が組織された。この異端撲滅闘争は仏王ルイ9世の時代までに完了し、結果としてフランス南部にまでフランス王権が伸張することになった。このように、総じて13世紀におけるフランス王権の強化は、ローマ教皇との連携を前提として進められたものであった。しかし、第6回十字軍・第7回十字軍を行ったことはフランス財政に重い負担を与えることになった。